このページはネタバレが過剰に含まれています。
気を付けてご観覧ください。
終ノ空remake -2025ver- プレイ感想【ネタバレ無し】

主体者 水上行人

この作品をプレイした際心がけたこと。
本作において最初に音無彩名が語る
「語りえぬことには、沈黙しなければならない」
という言葉が、本質を端的に示しています。
これは、「死後の世界」や「神の存在」など、言葉や論理では捉えきれない領域については、無理に語るべきではないという哲学的な立場を表しています。曖昧な理解のまま語るより、黙っているほうが誠実だという考え方です。
本作では難解な表現や哲学的な言い回しが多く登場します。そのため、私は先ほどの言葉を次のよう解釈してプレイしています。
「気にしすぎるな、楽にプレイしようぜ。」
難しい言葉にとらわれすぎず、リラックスして作品世界に身を委ねる。このスタンスが、本作をより深く楽しむための鍵だと感じています。それでもわからないものはわからない。
やはりこの作品で印象にのこるシーンと言えばこれだろう、
水上行人が音無彩名と生において勝つについて話す赤ん坊のシーン
やはりこの作品で一番印象にのこるシーンと言えばここだろう、

「その赤ん坊は泣くんだよ。おぎゃ、おぎゃ、ってさ…」
「その声を聞いてみんなわらうんだよみんな祝福してるんだよ」
「お母さんも…お父さんも…」
「そして、その他の人も…世界中の人々が祝福するんだ。その赤ん坊の生誕を」
「世界は生の祝福で満たされる」
「俺は一人そこで恐怖するんだ…ああ、これは違うって気づいて」
「それは、世界を呪っているんだ」
「その生まれたての赤ん坊は」
「生まれた事を呪っているんだよ確実に」
「俺はその場で氷りつくんだみんな、笑っている中」
「呪っているなら救ってやらなきゃいけないと思ったから」
「俺は、よろけながら…その赤ん坊に近づくんだ」
「そして、その赤ん坊の泣き声を止めようとするんだ」
「そして、そうしなければいけないと思うんだ」
「生まれた事を呪う赤子を救うにはそれしかない」
「それが、無惨に生き続けてしまってる俺の唯一の償いだと思うんだ」
「誰に対して?たぶんその赤ん坊に対してだろうか」
「それ以外のなにかに対して…もっと多くの原罪に対しての償いなんだと思う」
「生きるということは、積を重ねる事だ」
「汝殺すなかれ、それでもキリストは、船の上から魚の群れに網を放つよう命じた
多くの魚が殺された」
中略
「彼らは、何ら罪を犯していないのか?俺にはそう思えない」
「存在はいつだって原罪を抱えている」
「生き続けることは罪を重ねる事だ」
「だとしたら生まれる事は呪いではないか?」
「数え切れないほどの罪を重ねて、我々は生きながらえなければならない」
「その事をしって、赤ん坊が生をのろっているのなら」
「俺は、生まれたての赤ん坊の首を絞めて、その生が罪を起こされないようにしてやらなければならない」
「赤ん坊の泣き声=生まれたことの呪い」と捉えた水上行人が、生きることは罪であり、生まれた瞬間に呪われているのならば、それを断ち切ることが救いであり償いだ――と考える物語的な独白 です。
「出来ないんだよ」
「おぎゃ、おぎゃ、って泣いている赤ん坊の首を絞める事が出来ないんだ」
「これが、唯一にできる、生まれてしまった者の償いになるにもかかわらずじ、それが出来ないんだ」
「生きる意味などないんだ」
生きる意味などないと悟っている水上行人。しかし、それでも赤ん坊の首を絞めることはできなかった。なぜ自分がそうしたのか、本人にも理由はわからない。ただ水上行人は、生まれてきた意味その答えを探し続けている。
間宮卓司はこのように対に考える
「我々は、生きる意味を求めたがる」
「なぜなら、意味が無ければ、人は生きていけないからだ」
「意味がないなら。10分の人生も100年の人生も同じであり」
「生まれたての赤ん坊の首を絞めて、その人生を10分で終わらせてしまっても誰も文句はいえない」
「なぜなら、その赤ん坊が、生き続ける、意味など、理由など、どこにもないのだから」
「正しさが世界にないとはこういう事なのだ」
「世界に意味などないのだ」
間宮卓司は「生まれてくることに意味はない」と考え、赤ん坊の首を絞る道を選んだ。
そこにこそ、水上行人との決定的な違いがあるのだろう。
行人「生きようとするか、しないかの差だ」
行人「汚れていたとしても、価値が無いものだとしても、生きるべきだ」
行人「生への意志があるからこそ、人は折れる事もある」
卓司「だから自ら、死を選ぶ事もある」
行人「それもやはり生への意志故のものだ。人はよりよき生を求める、だから絶望もする」
行人「その絶望を否定するべきではない。その絶望も果てに死を選んだ人間もまた否定するべきではない」
行人「生きる事は、考える事じゃないんだ」
行人「生きる事は、まさに生きる事だ。それ以上でもそれ以下でもない」
- 行人の考え
生きることに価値があるかどうかは関係ない。汚れていても無意味でも、人は生きるべきだ。
生きる意思があるからこそ絶望も生まれるが、その絶望すら否定してはならない。
生きることは理屈で考えるものではなく、ただ「生きる」という事実そのものだ。 - 卓司の考え
生きる意思の果てに、自ら死を選ぶこともまた一つの答えだ。
行人と卓司、どちらの意見にも共感できるが、最終的には「語りえぬことには沈黙しなければならない」という行人の結論に行き着く。自分は根本的には卓司寄りだが、最終的には行人の立場に収束してしまう。その揺らぎが不思議な余韻を残す話だった。
最後に
今作の一章は、まさに“導入”として重く、暗く、そしてわかりにくい。
感覚的にはインターバルがないままひたすらに沈み込むような構成で、「最初ここで脱落してもおかしくなかった」
このルートは間違いなく、“作品全体を読み解く鍵”を最初にばらまく役割を担っている。
主体者 若槻琴美

一般人が見た“終ノ空”
若槻琴美ルートは、本作で最も「一般人の視点」が丁寧に描かれたルートだ。
世界が狂気に染まり、哲学と電波が飛び交う中で、琴美だけは我々と同じ目線で世界を見ていた。
ノストラダムスの予言、相次ぐ死(小沢や高島ざくろの件)に不安を感じ、「もしかしてこの世界、終わるんじゃないか」と疑い、水上行人に相談する琴美の姿は、まさに“普通の人間”そのものだった。
この「普通さ」が物語の中でどれだけ尊いことか――それは読み進めるほどに痛感する。
若槻琴美の正義とは
若槻琴美は、ただの女子高生だ。
なのに彼女は、誰よりも強く、誰よりも真っ直ぐだった。
小沢の死、高島ざくろの暴走、ノストラダムスの終末思想に飲み込まれていく周囲の中で、彼女は一人、「止めなきゃ」と立ち向かう勇気を持っていた。
誰に強制されたわけでもない。ただ、彼女の中にある正義感が、それをさせたのだろう。
だがそれは、狂気から無縁の存在という意味ではなく、狂気に侵されてもなお、他者を赦そうとする姿にこそ表れていた。
やす子を“赦す”ということ
琴美とやす子の関係性は、決して対等なものではなかった。
やす子は彼女を支配し、犯し、押し倒した。
普通の人間なら、関係はそこで終わる。
だが琴美は、やす子を赦したのではないだろうか。
このシーンは強烈だった。暴力的な愛の末路ではなく、赦しの感情が物語の終点となっていたからだ。
傷ついたまま、でも傷つけた相手を受け入れる。そこに“愛”を見出すかどうかは人それぞれだが、私はこの二人の関係性がとても美しく、そして切なく思えた。
百合としての完成度も高い
そして語らずにはいられないのが、百合描写の良さである。
やす子と琴美の関係は、“百合”と一括りにしてしまうにはあまりにも危うく、痛々しく、歪んでいる。
けれど、その不安定なバランスこそが彼女たちの関係性であり、だからこそ、あのシーンには熱があった。
単なる性的な描写ではなく、支配と赦し、渇望と受容が交差する、情念そのものとしての百合。
SCA自作品らしい狂気と抒情が共存した名シーンだったと、個人的には思う。
